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みんなのページ
八田興一は明治19年金沢市に生まれ、東京帝国大学工学部土木科を卒業すると同時に台湾総督府の土木技師となった。
その後、大正9年から10年の歳月をかけ嘉南平野、南北110Km、東西71Kmの干ばつの地を、一大穀倉地に変えました。灌漑用水の長さは台湾を約20周する24,000Kmに達します。弱冠35歳で現場の総責任者として指揮監督に当り、地元民を使って工事を完成させたのです。
八田は徴用により昭和17年5月フィリピンへ向かう途中、五島列島沖でアメリカの潜水艦の攻撃を受け亡くなりました。57才の生涯でした。外代樹夫人は戦争が激しくなり台北から烏山頭に疎開しましたが、終戦により台湾を去らなければならなくなり、現在の八田技師記念館の下のダム送水口に身を投げて45才の一生を終えました。この地を永住の地と決めておられたのだろうといわれております。
台湾の人たちは、その業績をたたえ銅像と夫妻の墓を建て、いまでも毎年5月8日の命日には追悼の祭典を続けています。
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平成21年1月

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小さな親切 輪を広げ
ボランティアの 旗のもと
老いも若きも 手をとりて
流した汗の 心地よさ
春爛漫の 観桜会
腹一杯の トン汁を
孫と共に 舌づつみ
思い出残る この美味さ
神輿担いだ 夏祭り
マイク片手に カラオケを
故郷民謡 歌いこみ
幼馴染みの 友の顔
力作揃いの 文化祭
達者な面々 敬老会
年を忘れる この集い
至福のひと時 浸りつつ
街は安心 ゼロ被害
笑顔で通る 安全路
君も私も 手を結び
皆で潰す ヒヤリハット
ヤングシルバー 元気よく
健脚揃いの 顔と顔
胸一杯 イオン吸い
白寿を目指し ウオーキング


堰堤は高さ56mと東洋一といわれたわりには高くなく、1,273mの長さはダムというよりなだらかな長い土手といった感じである。この堤頂部の巾9mの歩行者道が、左の珊瑚潭と右の嘉南平野を分けていて、足元から明るく開かれた空間がひろがって遠く霞んでいる。
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台湾紀行
八田與一のこと
11月も半ば、羊碲甲のピンクの花と玉欄の白い花が咲き乱れるなか、爽やかな気持ちで、半日、ダム周辺を散策しました。
高速道路を降り、住宅地を走っているうちにダム風景区に着いた。ゲートを過ぎると広大な広場があり、左遠方には大きな建物がみえる。周りは整然と手入れされていて、司馬遼太郎が「神域を見るようなたたずまい」と書いた雰囲気である。緩やかな坂を上りつめてバスが止まると、八田興一の銅像はすぐ近くのダムを見下ろせる林の中にあった。像は作業服で片膝をたててすわった姿で、後ろには日本人が引き上げた後の昭和21年に建てられた外代樹夫人との墓がある。
篠江 隆
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暁に祈る 船頭小唄 鉄道唱歌 気車 われは海の子
荒城の月 ずんどこ節
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